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【赤坂地区の旧町名由来】赤坂田町・赤坂新町

      2020/12/15

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赤坂見附駅の周辺は歴史を遡ると、昔は湿地帯で田畑が発達した地域だった?「赤坂田町」

赤坂見附駅の周辺を歩いていると東急プラザホテルから正面の外堀通りを挟んだあたりに「赤坂地区旧町名由来板」が設置されていました。

見てみると「赤坂田町・赤坂新町」に関する歴史的解説です。

(クリックで拡大できます)
写真 2015-04-12 14 37 21

赤坂見附駅から溜池山王駅のあたりまで、外堀通り沿いに細長く広がる地域は昔は湿地帯で田畑が発達したエリアだったようです。それが由来で「赤坂田町」という町名がついたようです。

今は外堀通り沿いは商業ビルなどが立ち並んでおり昔が湿地帯で田畑があったなんて想像しくいですが「溜池山王」という名前にはその由来が反映されてますね。溜池山王のあたりは元々、水の湧き出る所であり、江戸時代の初めに江戸城の防備を兼ねた”外堀”兼用の飲み水用の上水源として作られ水道の発祥地となったようです。

タイムスリップして昭和31年頃の地図を確認してみましょう!

(クリックで拡大できます)
赤坂田町・赤坂新町_昭和31年頃の地図

「赤坂田町」町名由来

町域は溜池に沿っていて、南北に湾曲しながら発達した町です。古くは湿地帯で、その後田畑が発達したので「田町」と命名されました。

町域を含む土地は、寛永12年(1635)頃は空地で、普請などに利用する土の置場でしたが、家康入国以来の務めが評価された南伝馬町の伝馬役三名に褒美としてその土地が与えられ、その後15年に地割してその一部を町屋としたことがこの町の起こりです。

明治末には印刷所、理髪店、牛乳店、牛肉店、写真館など、文明開化的な商品や技術を売る店で賑わい、また赤坂花柳界の中心地となり、政治的及び経済的社交場として華やいだ場所となりました。

「赤坂新町」町名由来

町域の大部分は、江戸時代より前には一ツ木村に属していました。

町屋が出来たのは、寛永から元禄にかけて(1624~1704)のようで、寛永17年(1640)に、尾張藩徳川光友夫人千代姫御附の侍三名がこの土地を拝領して赤坂新町1丁目と称したのがこの町の起こりです。

寛文8年(1668)に町並屋敷の建造が許され、延宝元年(1673)に町奉行支配下となり、その後5丁目まで区分されました。明治時代には1・2丁目と3丁目の一部が繁華な商店街となり、さらに商店は3~5丁目へも伸び、戦前には表通りは商店街を形成していました。

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 - 赤坂

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